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12月

すごーく、久しぶりの人から連絡があり。
そんなに親しかったわけでもない人なんですけれど。
仕事が始まりそうです。
こんなもんなんですね。



11月

「仕事の作り方」ということを考えています。
この前も「営業」について少し話しましたが、案外そんなに大変なことではないのではないかとも思います。
例えばネットオークション。自分にとっては不要のものが、他人にとって欲しいものになれば、それはお金になります。「えっ」と思うようなものを高額でも欲しがる人もけっこういます。
僕たちは別に不用品の売買をするわけではなく、それに相当するものが「情報」です。
自分にとって不要な情報でも、他人にとっては有用なこともあります。自分にとっては不要ですので、それを手放すことは惜しくはありませんし、他人にとってはお金を出しても欲しかったります。
また、自分にとっては手に負えない情報も、他の特殊能力を持った人ならそれを有効な情報に変えることもできます。
そんな仕組みが作れないかと、考えてみたりしています。



10月

ある古いビルの全館改修工事の相談を受けました。路面の店舗以外のテナントは随分前から空室となっており、外壁なんかはもう○○な状態らしいです。
表現があまりにも汚くなってしまったので伏せましたが、とは言えコンクリートの躯体にタイル張りです。どんなにひどくても、まぁ限度があります。木造でないので腐ることもありませんし・・・。
で、現調です。
「・・・」
こんなこともあるんですね。本当に○○でした。
とりあえず、見積りを作らなくてはなりません。そのためには図面を作る必要があります。でも、○○です。
さぁ、どうなることやら。



9月

仕事って、こう良い感じに分散されては来ないものですね。
忙しい時には、いろいろ重なって断らざるを得ないこともあったりして。でも暇な時には全くなし、なんてことも良くある話で。そのムラはものすごくあります。
忙しい人には仕事が寄ってきて、暇な人からは逃げていくみたいなことが、本当にあるような気がします。
だから忙しい時でも、一度仕事を断っちゃうと、そこからヒマな循環に陥っちゃいそうで、断れません。貧乏性でしょうか?
と言うよりも、依頼をいただけることに感謝して、断ってたりはできません。



8月

とある関係で、飛び込み営業をしていた人と知り合い、いろいろお話しをする機会がありました。
「賃貸住宅関係の土地の有効利用」みたいな分野です。誰でも知ってる○○と言うブランドです。
正直、僕たちがやっている営業とは正反対な次元で、信じられないような事ばかりだったんですが、彼曰く「普通」の事みたいです。
営業に関しては仲間うちでもいろいろ話題にはなりますが、こういう違う分野の人と話すと、いろいろ思いもよらないことに気付かされます。
まぁ、僕たちには出来ないですけれども。



7月

「長期優良住宅」だそうです。なんか税金が安くなったりするみたいですね。このところ、いろいろ制度が変わりすぎちゃって、なかなかついていくのが億劫です。
一つ一つをじっくりと見ていけば、それほど難しいものではないのですが、次から次で全体像が把握しきれないのと、国土交通省からの通達を見ると・・・、もう読む気をなくすような難解な表現で書いてますね。
どうしてあんなに簡単なことを、こんなに難解にかつ分厚い量で表現できるんですかね。なのに、読み終わった後に合理的な疑問点が多々残ったりします。
決して、私の理解力不足ではないと思うのですが・・・。



6月

久しぶりに横浜に行きました。横浜駅です。・・・、もう大変です。
横浜駅って結構構造が複雑で、でも基本的には全て熟知してたはずですが、全く訳がわからなくなってました。私が横浜にいたころは、東横線のあたりは常に工事中でしたし、工事をしていない横浜駅は実は知らないんですよね。
仕方なく常にサインを頼りに歩くんですけれど、これがまたダメですね。途中で途切れちゃうんですね。もしくは見失ってしまいます。
ここで難しいのは、人によって必要な情報量が違うんですね。だからといって、一番情報の少ない人に全てを合わせればいいかというと、そうでもなかったりします。
だから、まず大きく全体を把握するためのサインとかって作れないんですかね。それとも、携帯かなんかで完全に個人にパーソナライズされた情報を取捨選択するようになるんでしょうか。
これって、いろんな意味で結構重要な問題だと思います。



5月

完了検査を受けました。いつものことですが、別に悪いことをしているわけでもありませんが、ドキドキします。
その理由は・・・、「あいまい」だからです。
建築基準法改正後は特に検査が厳格化されました。確認申請時の図面とおりに出来てなくてはいけません。法解釈的により有利になる変更もダメなんです。
でも、これだけなら別に問題はないんです。でも建築にはそうはいかない事情があるんです。1mm単位での施工なんて不可能なんです。で、当然そこまでは検査員も求めません。
ここで問題なのは、じゃぁ、どのくらいの誤差なら認められるのかということです。寸法以外にもこれに類することは沢山あります。そして、それらは検査員によって本当にまちまちだったりするんですね。
まぁ、建築ってのは全てがこの「程度」とのせめぎ合いなんですね。ある意味、この「程度」を具現化することが、建築家の力量なのかもしれません。



4月

春ですね。少しづつですけれど、いろんなことが動き出してるように感じます。みんな、いろいろ工夫をしながら一生懸命やってます。
不況というのは、社会の価値観が変わる時で、システムの過渡期だと思います。私たちみたいな人間にはむしろチャンスだと思います。
でも、私たちの業種は超旧来型産業の王様みたいな業種でもあります。また、大企業や、世間を騒がしてる金融関係の諸々は、変われないんでしょうね。と言うか変わろうとはしないでしょう。
以前、あるニュース番組で「どうして、ゼネコンでは汚職が絶えないのか」とか言ってましたけれど、これも同じことなんですよね。これ以上は問題あるかもしれませんから言いませんけれど・・・、察して下さい。
そう言えば、以前書いた復活したコインパーキングですけれど、最近また解体されました。いよいよ・・・、ではなくて、今度は違う会社のコインパーキングに変わりました。何故?



3月

私たちの永遠のテーマは多分「水」です。別に生命の源だとか言っているわけではありません。「漏水」とか言われるものです。
水は高いところから低いところへ流れるのが原則です。「瓦屋根」や「茅葺屋根」なんかはその原則にそったものです。染み込む前に流しきる、ということです。
でも、水は低いところから高いところへも流れるんです。風の吹き上げとか、狭い隙間(毛細管現象)と言われるものです。
私どもは当然、最善の方法を探りますが、悲しいけれども100%は保障できません。その時に「95%」と「90%」ならば、どちらを選ぶかということです。当然、それだけの判断なら迷わず「95%」です。でも、その為にはその他の何かを犠牲にしなければならないことがほとんどです。デザインや素材やお金だったりします。当然、程度の問題なんですけれど、そのギリギリの判断が「設計」だったりします。
だからと言って、あきらめている訳ではありません。必ず直します。でも、それでも100%にはなりません。残念です。



2月

とある人の紹介で、住宅のプレゼンテーションをしました。自分で言うのもなんですが、そこそこいい感じのものができました。これから設計するアイデアとしては、この段階で「出来上がっている」のはダメなんですね。
イメージがぶれているのは当然ダメですが、今後発生する諸条件や、もっといいこと思いつく可能性なんかを、許容する「隙」が必要なんですね。その辺を伝えるのって難しいですね。
更には、他社と比較しているそうです。それ自体を非難するつもりは更々ありませんが(悲しいことですけれど)、「比較する」っていうのにも結構能力が必要なんですね。きつい言い方ですが、あなたに建築を比較する能力はありますか? 別に、うちに相談すればもう逃げられないと言うことではありません。もっと別の方法があるんです。それは、直にお会いした時にでもお話しします。
それだけ聞いて帰ってもかまいません。お代はタダです。



1月

株価が落ちてますね。10年くらい前のバブル後最安値に迫る勢いですか。
でも、そもそも「株」や「先物」って言うのは、リスク回避(もしくは分散)の為に考え出された商業の仕組みなんですよね。それが今や独立して経済を支配するものになっちゃってます。
「含み損」や「含み益」とか言われますけれど、基本的には日本的企業はそれを現金化することはないわけで、そもそも全てを現金(現物)化しようとすれば、現在の価格は維持できないわけで、所詮実体のない価値でしかないんですね。
専門家ではないので、あまり細かくは話せませんけれど(ボロが出るので)、ただひとつだけ言いたいこと。
「お金」というのは、そもそも「価値の証明証」みたいなもので、「1万円札」と「1万円の価値」は別のものなのだと思います。
あくまでも、株やそれらのものはルールに従った合法なものですが、「価値」を創造する仕事をする立場から言えば、どうも違和感はぬぐえないです。



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