12月 そろそろある物件の確認申請と見積り図渡しの時期がやってきます。 「どうしようか?」 今年は27日が土曜日なので、26日くらいに業務を終える会社も多いだろう。で、最終日の26日というのも何だし、25日を提出にしよう。 まぁ、それなら来年でも全体のスケジュール的には構わないのですが、すっきりと今年を終える為にはそうしようということになりました。 確認図、実施図、打合せ云々。最近は帰宅時間がほぼ朝の4時とか5時です。それでも徹夜しないのは歳のせい? 当然、前日24日は貫徹決定。クリスマスイブなのに。 25日はもうヘトヘト。クリスマス・・・。 それで今日は27日。人間、何でもやれば出来るもんだ。 あれ?でも年賀状は・・・? |
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11月 仕事的に少し一段落ついたので久しぶりにコンペをやりました。かれこれ2年ぶりくらいでしょうか。 何個かリストアップしていくと、まぁ4コくらい候補があがりました。 「どれにしようか?」「まぁ、コンペなんて勢いだから全部やろう。」 てなことで、4コ全部やることにしたのですが、締め切りがまぁ接近していること。2週間くらいの間にほとんど全部固まっています。 「どうする?やめようか?」 結局勢いで全てを提出しました。まぁ、やれば出来るもんだ。 久しぶりのストレス発散と、頭のトレーニングをこなし、さぁ結果やいかに。 |
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10月 住宅が一軒竣工しました。 もう何度も迎える竣工という出来事ですが、いつものことですが何だかもの悲しいものです。 いろいろ辛いこと、大変なことからようやく解放(?)される瞬間なのですが、その安堵感の次に来るのがこの感情です。 今までは現場には我が者顔で出入りできました。言わば自分の仕事場であり、また自分の作り出した子供のようなものです。 それを、竣工・引渡しの後はもう他人の(もともと僕のものではないのですが)ものになってしまうのですから。 特に今回の現場には諸々と思い入れの強いものがありました。それを、それを、・・・。 まぁ毎度のことなんですけれどもね。 また、思い入れが強い分、またまた事務所的には赤字になってしまてるんですけれど。まぁこれも毎度のこと。 でも、こういう感情の持てる仕事が出来る自分を幸せに思います。ありがとう、Hさん。 |
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9月 とある建築が気になって、見に行くことにしました。扉はオートロック、中には入れません。学生の頃なら、なんとか潜り込もうと試みるのですが、それもこの年になるとなかなかシャレになりません。 そこで、「○○事務所って、誰か知ってる人いたっけ?」入れてもらえるように口を利いてもらおうというわけです。「××さんがいたけど、もう辞めちゃったよね。」 さすがに、この年にもなれば、アトリエ事務所のスタッフとして働いている人も、もうあまりいません。みんなどうしているんでしょうか。全員独立・・・?とするならば、なんだか凄いことになってきてしまいます。 さて、僕は先ほど「アトリエ事務所」と言いましたが、この言葉があまり好きではありません。まぁ、そのほうがわかりやすいから使ってしまうのですが、かなり自分としては違和感があります。 ならば今の自分をどう表現すればいいのでしょうか。まぁ、そもそも何もそんなにカテゴライズしなくてもいいんですけれどもねぇ。 でもまぁ、あえて言うなら、「インディーズ系事務所」でしょう。インディペンデンスな事務所。世の中の権力や、嫌な風習、馬鹿げた常識、云々。 そんなものから独立した建築家でありたいと思います。 |
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8月 もう言い飽きたことですが、今年の夏はどこに行ってしまったんでしょうか。 暑い夏は、汗もかくし、暑さでフラフラするし、ひどいときにはクラクラきちゃったりして大変です。 でも、やっぱり夏は暑くないといけません。「暑い〜」と文句の一つも言えないとやっぱりいけません。 快適じゃないことも、苦痛なことも、イヤ〜なことも、それはそれで無いと寂しいものです。人生つまらなくなってしまうような気もします。 そういうことを乗り越え、解決し、時には「なされるがまま」なんてこともありますが、それが歓びであったり、充実であったり、そんなことのモトのような気がします。 建築なんてのも、同じだと思います。わざわざ使い辛くする必要はありませんが、「何もそこまで」ってことはよくあることです。 でも、一番それが顕著なのは設計の作業かも知れませんねぇ。 多分、建築家の半分以上はマゾなんじゃぁないでしょうか・・・、どうでしょう? |
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7月 渋谷の東急文化会館が解体されています。屋上にプラネタリウムが乗っているアレです。 設計は坂倉順三。言わずと知れたモダニズムの巨匠です。 今までは何と無しに、というよりも何も気にしてはいなかったのですが、解体の過程で映画館のビルボードが撤去されると、「えっ、こんな建築だったんだ。」と驚きを隠せませんでした。良い建築だと思います。 それと、ビルボードの力の凄さというか、インパクトの強さというか、そんなこともしみじみと感じました。あれだけで、建築を、街をこんなに変えてしまうということはある意味すごいことです。(ここでは悪い意味ですけれど) ものの本質というか、誠実さというか、そんなものは表層もしくはスケール(大きいとか言うこと)には勝てないんでしょうか。そんなことないですよね。 最近は身体感覚を麻痺させるような、モノであったり、装置といったものが氾濫しています。だからこそ、僕たちがやらなくてなならないことは、重要かつ必要だと思います。 ただ、それがアナログ回帰や、懐古趣味的なものであっては本末転倒ですけれども。 |
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6月 仕事を取るのは大変です。ただ、僕らの場合は微妙な側面があって、「お客様は神様です。お客様の為ならなんなりと。」というのではありませんし、かと言って、先生気取りで威張っているわけでも当然ありません。 僕らが求められているもの、僕らが持っている力、そんなもののバランスの中で仕事が生まれていきます。最初に話があってから、1年くらいかかってようやく芽が出るなんてこともよくあります。 生みの苦しみとでもいうものでしょうか、なかなか感慨深いものがあります。 仕事が終わる(止まる)ことは、いとも簡単に起こります。契約していようがどうであれ、急に中止なんてことはよくあることです。 確認申請を出した直後、着工の直前、そんなときにでも電話一本で全てはオワリ。まぁ、誰かに悪気があるわけではないのでしかたがないことですが、限りなく寂しいものです。 今月は、その両方がありました。差し引きでチャラでしょうか? |
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5月 久しぶりに歯医者に行っています。毎日歯は磨いていますが、それでも2年に1回くらいは何か不具合が出て歯医者に通うことになってしまいます。 歯医者に行くと健康保険というものを使います。自己負担率は3割です。見方を変えれば7割引きということでしょうか。 そこでふと考えてしまいました。 大体、全体で2万円くらいかかりました。7割引ですから元値は大体6万6千円。得した分は4万6千円です。 僕がどれくらい保険料をどれくらい払っているかというと、とてもこんな金額ではありません。損得で言えば、明らかな損です。 ・・・けど、損得じゃぁないんですよねぇ、こういうのって。大体、皆が得してたらそもそも保険というシステムは破綻するわけで。 最近は何でも損得で考えてしまうイヤな性格になってしまったようで、いやなことです。 でも、ちょっと自分を見つめなおしてみると・・・、建築に関してはいつも全く損得を考えていない自分がいます。これもまた問題。 |
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4月 イラク戦争が始まって数週間。今、あなたはどれだけ関心がありますか? 開戦から今まで、状況は何も変わっていません。というか、どんどん悪くなっています。でも僕たちの関心はどんどん低くなっています。 悲しいことですが、これが現実です。「他人事」なのです。 よく、海外の事故などでニュースで報道される「日本人乗客は含まれておりません」というコメントに異を唱える人は多いですが、 あくまでそれは他人事であるからです。 自分の身内、知人が含まれている可能性があれば、第一に知りたい情報なはずです。 どこまでも身勝手な日本人。 それは、僕たちも含めてです。 |
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3月 椅子を新しくしました。 今までの椅子は、事務所を始めるときに買った1万円くらいの、正直安物。 僕らの仕事は一日の大半は座っています。そうなってくると、商売道具としてはパソコンなどと同じくらい、もしくはそれ以上の大切なもの、なんですが。 良い椅子ってやっぱり高いですね。10万円なんて平気でする。2脚買えば当然20万円。やっぱり躊躇してしまいます。 結果、すごく違いますね。やっぱり。もう前の椅子には戻れません。 今までも不満はありましたが、当然それしかなかったので座っていました。でも、良い椅子を知ってしまうともうダメ。 良いものを知るということは大切なことです。でも良いものと高価なものとは違います。ブランドネームだけにお金を払うような、 そんな馬鹿げた人間にはなりたくありません。 そのためには、もっともっと良いものを知って、そう、自分の感覚というものに自信を持てるように。 そんな風に、お金を使える人間になりたいものです。例え貧乏でもね。 |
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2月 いろいろと面倒なことが重なった一ヶ月でした。でも、それについてはここでは触れません。 僕たちは生活の中で、様々な苦悩と直面します。それはいろいろなことのギャップから生まれる現象です。 だから、それは例えば、自分自身のポリシーやプライド、意思みたいなものがなければ、そのような苦悩は生まれてこないことだと思います。 でも、そんな道を選べる人なんてそうはいないでしょう。僕らの仕事も、そういう意味では正直シンドイです。 「仕方がない」という言葉を僕たちはよく使ってしまいます。でもこれは明らかに言い訳です。自分の能力のなさや、 様々な選択に対する不安感をごまかすための言い訳です。 でも、その言葉によって救われるものは正直何もありません。責任逃れをするくらいなら、初めから何もしなければ良い。ただそれだけのこと。 それは、自我を押し通すということでは決してありません。人の話を聞き、状況を判断し、様々な現象を想像し、そういう姿勢を大切にするということです。 そんな簡単なことです。 このホームページの更新も滞っていますが、まぁそれはシカタガナイこと。忙しいし。 |
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1月 年賀状も無事投函。あらためまして、あけましておめでとうございます。 私事ですが、僕の父親が定年退職を迎えました。 毎日毎日は少しづつ変わっていくもので、その変化というものを明確に目の当たりにすることはあまりありません。 そんななかで、こういう出来事はそれなりにショッキングです。歳をとった父親を見ていると、それはそのまま自分にも当てはまる事に気づかざるを得ません。 大学を卒業して10年くらい。世間ではもうオジサンと呼ばれてもおかしくない世代です。でも、僕の意識はまだ学生の頃とは何も変わってなくて、 フラフラというか夢見がちに生きています。 また、僕たちのまわりにはそんな連中ばっかりで、あたかもこれが普通なの?と錯覚してしまうんですけれど、普通じゃぁないんでしょうねぇ。 たまに週刊誌なんか読んでても、(それは生涯賃金の話だったり、社会保障の話だったり、恋愛・結婚の話だったり)何かギャップを感じてしまいます。 普通や常識といった意味の話はここでは別にしてもね。 |
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